雲行きがまた怪しくなってきた…?

コロナ感染者がまた増加してきている。
東京はもちろん、あの徹底したモデルを作り上げた大阪までもがまたコロナに悩まされている。
やはり前々から予想していた気の緩みからくるものだとおもっていたのだが、どうやらそれだけではないようだ。
今回の主な増加の原因はクラスター感染だ。
東京は歌舞伎町、大阪ならなんば、神戸なら三宮あたりだろうか。とにかく夜活気づく場所でクラスター感染が多く起こっているらしい。しかも若い人を中心としている。少し落ち着いたから、大人数で集まったり飲み会をしたりなどが主だろうか。
とにかくまだまだ終わりのないコロナを落ち着かせるためにキーとなるのはやはり若者たちだろう。

清潔な生活

まだまだ続くあろうコロナ渦の中で、明らかに変わったと感じることがある。

それは清潔感だ。

手洗いをはじめとしたウイルスを予防する習慣が数多く浸透している。予防習慣ととらえればそれまでなのだが、コロナをきっかけにいい習慣が浸透してきつつあると思う。清潔感に気を配るということは健康にもつながること。他人との距離感や接し方にも気を配れば、お互いに程よいコミュニケーションができるかもしれないし、清潔な印象を海外の方にも知ってもらえば日本のイメージアップにもつながるかもしれない。

ただ、清潔感と潔癖になるのは違うと私は思う。

感染が怖いからと言って人との接触を避けるのは構わないが、過剰なアピールによって相手を傷つけたりすることは良くない。

悪い風にばかりとらえるのではなく、良い風にとらえることで他人との接し方、コミュニケーションは大きく変わる。清潔な生活環境で私たちの精神も清いものになれば幸いである。

夢の国、ついに解禁。

7月1日からディズニーランド、シーが満を持して営業再開する。

これを受けたディズニーファンたちは大喜びだ。チケットは抽選となっており、倍率もものすごいことになっているので、プラチナチケットとなって法外な値段で売られていたりするが、これが当たり前のように売れていく。それほどファンにとっては待ち望んでいた日であり、尊いものなのだろう。

しかし、今まで通り再開できるはずもなく様々な条件が付いた「夢の国」となっている。

例えば、入園できる人数が普段の半分になること。ソーシャルディスタンスを守らなければいけない今、当たり前のことだが少し閑散とした雰囲気のテーマパークになるだろう。人が大勢いてわいわいしている雰囲気は当分は味わえそうにないが、いいこともある。アトラクションに乗れる頻度が増えることや、だれにも邪魔されずに写真を撮れることだ。人は減ってしまうが、一人一人の体験の質は向上するのかもしれない。

そのため、これからテーマパークなどはちょっとした贅沢になるかと私は思う。以前よりも楽しい時間が増え、より非日常を味わうことが出来る場所となると思う。その代わりにより貴重なものとなり今までのように普通にはいけないものになる気もする。

コロナでの変化は、普段の生活だけでない。普段できない、自分の趣味の時間にまで及んでいるのだ。

ハンコ文化はどう変わっていくのか。

コロナをきっかけにテレワークが浸透し始めてきた。この先、テレワークが主流になっていくだろう。この働きが大きく変わろうとしている今、それを阻む要素の一つに日本独自の文化がある。それがハンコ文化だ。

上司にハンコ一つをもらうために会社に出社することを強いられている会社が多くあるらしく、もらいに行く側にとっては効率が悪いという考えを持つ人が多い。しかし、ハンコを肯定する側にとっては効率が悪くとも、ハンコでなくてはならないという昔からのハンコへの信頼が根付いている。世代が違うことでハンコに持っているイメージが大きく違うのだ。確かにハンコにもいい所はたくさんある。私自身、アナログの良さは私なりに理解しているつもりなので、ハンコは残していくべき文化だと思っている。しかし、使うべき状況はもっと柔軟でいいと思う。案件の大小関係なくすべてハンコで統一するのではなく、ここぞという時にハンコを使うなどしてハンコの文化は残しつつ、効率も少しづつ上げていくのがお互いにとって納得するのではないかと思う。

テクノロジーが進むにつれ日本の文化が失われていくことは少し悲しく感じる。日本ならではの風習や文化をただ「効率」の一言で無くさず、今の流れに合わせた形で新たに浸透させていくことは私たちの生活を豊かにしていくことといっても過言ではないと私はいつも考えている。

対抗ではなく共存

最近、再び感染者が増えてきたが東京都の小池知事いわく、これは第二波ではないという。4月の終盤辺りでグラフで見る変動では、これから先も何度か大きな波があり、その波の大きさがどんどん小さくなっていくというものだった。そのため、少しづつ増えてきた今は第二波の序盤だと私は思っていた。これからも騙し騙しコロナに対抗しながら静かに収束を待つものだとばかり思っていたが、少し違ったようだ。

そもそも、コロナに「対抗」するのではなく「共存」していこうとしているのだ。

正直、そんなことができるのか?と思ってしまうのだが、改めて考えてみるとコロナの感染のキーポイントは人との接触だったことを思い出した。全員が必ずかかるというものではなく、私たちの行動次第で感染を防ぐことが出来るのだ。つまりはコロナに適応するための生活を作り上げればコロナと共存することは可能ということだ。しかし、今の状態ではまだまだ適応できているとは言えない。この先、新たにコロナの特効薬ができることを待っているだけでは今の状況を解決することはできない。様々な企業が感染防止のために知恵を絞り様々なものを提供している。私たち個人個人もできること、変えていけることがあるなら積極的に行動していきたい。

おそらくこの先、コロナウイルス以外にも危険なウイルスや病気が普通に出てくる世の中になると私は思っている。テクノロジーが進むとその副作用が必ず出てくるものだ。私たちは快適な生活を得るためにリスクを負わなければならないのだ。コロナはそのうちの一つに過ぎない。

いつか、私たちが熱い時には服を脱ぎ、寒い時には服を着こむように、簡単に移り変わる日常に適応できる未来を私たちで創造していきたい。

マスク警察

自粛警察に続き、コロナ渦の中で新たな警察が出現した。マスク警察だ。

内容的には自粛警察とあまり変わらず、「自粛中の行動」から「マスク着用」にターゲットが変わっただけである。確かにこの時期にマスクをつけていない人を見ると少し心配になるが、だからと言ってその人に迷惑をかけたり、傷つけていい理由になるはずがない。注意するだけでなく自分の予備のマスクを渡すとかその後につながるならいいと思うが、一方的に攻撃するだけのケースが多いのでこれは解決したい問題だ。

あと、少し思うのはこのコロナ渦のストレスがたまりすぎてみんな少しピリピリしている気がする。自分のストレスのはけ口にしているとすれば本当にいい迷惑だ。

やはり解決には「協力」が必要なのだろう。

事情があって付けられない人も少なからずいるだろうし、うっかり忘れた人には持っていれば自分のマスクを差し出せばよいのだ。相手のことを少しだけ思いやることで、こんな問題はすぐに解決すると私は思う。しかし、なかなかそんなうまい具合には行かないのが世の中であり、私たち人間なのだ。

それでも、これから出かけるときには予備のマスクを持って万が一、そんな人がいたら渡してあげたいと思う。

マスクのあれこれ

まだ6月だというのにかなり暑くなってきた。湿気も高いし過ごしにくいきせつが今年も来たなあと思っていると、今までとの違いに気づく。

マスクめっちゃ暑い…

飛沫感染防止とはいえこれはシャレにならん暑さだ。息もしにくいし。

だが、一番つらいのはうかつにマスクを外せないことである。まだまだ収まらないコロナ渦のせいで、マスクをせずに外出したり公共の場にいることが「悪」になっているのである。少し前に「自粛警察」というものがあったが、最近は「マスク警察」が出てきているらしい。自粛警察のマスクバージョンといったところで、簡単に言えばマスクをしていない人に対して過剰に反応したり、暴言を吐いたりする人たちのことだ。

正直、かなりタチが悪い。わざとマスクをしない人は一部で、何か事情があってますくが出来ない、うっかり忘れてしまった人など、大半は悪気などない人達が被害にあっているからである。個人的には自分のストレスのはけ口にしているようにしか見えないのだが…

とにかく、コロナに注意することも大切だがこれからの季節、熱中症に気を付けることもかなり重要になってくるだろう。そうなったときに、マスクの存在を考えなおさなければならないタイミングが来ると、私は思っている。